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バミューダトライアングルの真相【謎が解明】

大西洋の西に位置する、バミューダ諸島、フロリダのマイアミ、プエルトリコを結ぶ三角形の海域。

ここでは不思議なことが起こると地元住民はもちろん、世界中の人たちに恐れられています。

恐怖の場所!

いったいこの海域で何が起こっているのでしょうか?

失踪事件もあったとされる真相とはいったいどのようなものなのでしょうか?



(40年の実績。夢の地球一周はピースボートクルーズで。【ピースボート】)

バミューダトライアングルとは?


(出典:i1.wp.com)

バミューダトライアングルは、楽器の「トライアングル」とは別物になります。

大西洋の西に位置する海域のことです。

バミューダ諸島、フロリダのマイアミ、プエルトリコを結ぶ三角形の海域は、「バミューダ・トライアングル」 と呼ばれています。

なぜかこの海域で船や航空機が忽然と姿を消すと言われている魔の海域です。

メアリー・セレスト号事件

1872年に起きたメアリー・セレスト号事件。

これは本当に不可解なものとして知られています。

船がバミューダ海域で発見された当時、船内のテーブルの上には、まだ温かさが残るコーヒーやパン、ベーコン、ゆで卵などが、今にも食べようとしていたかのように盛られていました。

しかし、それらを食べるはずだった乗員たちは忽然と姿を消しています。

いったい彼らはどこへ行ったのか?

どこに消えたのか?

まったくわかりません。

イギリスのスクーナー船事件

1881年には、イギリスのスクーナー船 、エレン・オースティン号が、同海域を航行中、遺棄された一隻の船に遭遇し、乗り移ってみると何も異常なところはなく、ただ船員だけが消えていました。

エレン・オースティン号の船長は、この船を天からの授かり物と考えて船員の一部を乗り込ませて一緒に目的地に向かいます。

しかし、突然のスコールに襲われました。

2隻は一度離ればなれになり、2日後になんとか再会。

ただ、船員たちの姿はありませんでした。

空母ジョン・F・ケネディ事件

1978年2月22日、天気は快晴。空母ジョン・F・ケネディに物資を運ぶため飛行していた海軍中佐ポール・スマイスとリチャード・レオナルド中尉は、バミューダ海域を飛行中、乗っていた飛行機もろとも消失しました。

ルイジアナ州立大学の飛行機事件

1980年1月10日に、ルイジアナ州立大学のフットボールコーチ、ボー・リーンが乗る飛行機が、同州の州都バトンリュージュを目指して飛行していました。

しかし、突然、バミューダ海域へ向かって飛び出し、5時間後に姿を消してしまい、手がかりすらない状態に…

バミューダトライアングル失踪事件の真相

真相は諸説あげられました。

  • 失われた大陸「アトランティス」との関連説
  • 人間による攻撃説
  • 地磁気による影響説
  • メキシコ湾海流による説
  • マイクロバースト説
  • メタンハイドレート説
  • 宇宙人による誘拐説
  • ワームホール説

メタンハイドレード

中でも、解明されていない謎については、メタンハイドレード説が有力とされています。

メタンは自然界に存在する無臭のガスで、有機物が腐敗することによって生じます。海の底で水圧によって固くなり、ハイドレートと呼ばれる結晶になるのです。

見た目は氷のようなハイドレートは、崩れたり、時には激しく爆発したりしますが、急にガスが解放されると、石油採掘作業員などに危険が及ぶこともあるため、現場関係者の間では「死のげっぷ」と呼ばれています。

危険なガス!

この爆発により、海底に突然穴ができるので周囲の海水が引き込まれ、船がクレーターの中に沈没。周囲の砂がその後に戻るため、船を隠すようになります。

そして、メタンハイドレードの爆発により電気が発生。

飛行機の計器に異常を発生させます。

月日が流れ、海底に沈んでいた難破船などがある日、メタンハイドレードの爆発により突然海上に浮上すると言われています。

なくはない話

悪天候と機械トラブル、人為的なミス

この海域バミューダトライアングルで起こる事件に多くの噂と謎が立ちましたが、実は元アリゾナ州立大学の司書で飛行教官のライセンスを持つローレンス・D・クシュと、アメリカ陸軍の元大尉マイケル・デネットらにより、さまざまな研究がされました。

そして、そのほとんどが解き明かされています。

バミューダ・トライアングルで起きているとされる事件の多くは、悪天候や機械トラブル、人為的なミスなどが原因だと結論づけています。

さらに調べていくと、本や小説などを書いている作家などにより、創作や誇張などによって、謎の事件として作られた空想だったことも判明しました。

例えば、1978年2月22日のケースでは、実際の天気は快晴などではなく嵐だった点。最大瞬間風速は20メートル以上もあったそうです。

1872年のメアリー・セレスト号事件では、バミューダ海域で起きたとされますが、実際の船の航路はニューヨークからイタリアのジェノヴァへ向かう航路のため、バミューダ海域を通ることはありません。

同船が発見されたのはバミューダ海域からは3000キロ以上も離れていました。

そ、それなら!温かさが残る飲みかけのコーヒーやパン、バター、皿の上にはベーコンとゆで卵があったのは?

これは完全な作家による作り話だとわかりました。

そして、船員が嵐の後に消えていたことについては、船員と共に救命ボートも消えていたようです。救命ボートで脱出するも、遭難してそのまま海中へ沈んでしまったと考えるのが自然です。

海賊に襲われた可能性もありますが…

まとめ

世の中の多くは作り話でできている。

作り話がいつの間にか都市伝説みたいになっていったって感じですね。

しかし、2015年に約100年前に謎の失踪をした貨物船が魔の海域「バミューダトライアングル」で発見されました。

船内の調査の結果、この船が1925年11月29日にサウスカロライナ州チャールストンから出航し、行方不明になっていた「蒸気船・コトパクシ号」だったことが判明。

船員の姿はなく、海上をユラユラとさまよう幽霊船になっていました。

どうやら、コトパクシ号は行方不明になった当時、暴風雨圏内を航行していたようです。船が荒波で一回転して船員が投げ出されたか、船を捨てて脱出したか、ということが考えられます。

ただ、100年も彷徨っていたわけです。

なぜ今まで発見できなかったのか?

っという大きな謎だけが残っています。

地球の海流や気流は複雑。この地域を移動するには他の場所よりもリスクが大きいのは間違いなさそうです。



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