「もぅ~いくつ寝ると~お~正月~♪」
っと歌いながら過ごしていると、いつの間にかお正月がやってきます。時間の流れは速いですね。
そんなお正月ですが、お正月に欠かせない置物があります。
そう、門松。
門松を見かけると、「あぁ、新しい年がやってくるんだなぁ」と感じている人も少なくないのではないでしょうか?
ところでこの門松、なんで竹がカットされてるの?
門松の竹が斜めにカットされている理由
門松を見るだけで日本をイメージするほど、昔から使われている親しみやすいお正月の飾りです。
竹というと、真っすぐにそして高く伸びていきますよね。その先端は細くなり笹の葉が生えています。門松は竹の太い根本付近をカットして作られますが、普通に切るとその断面は円状です。
花などを活ける花瓶替わりにも使える便利な植物が竹なのです。
でも、門松の竹は円状ではなく、あえて斜めにカットしているではありませんか。
門松の飾りで竹が斜めに切られているのは徳川家康が関係する
一般的な門松には3本の竹が刺さっており、その竹は斜めにカットされています。なぜその姿になっているのか?
その背景にはある人物が関係をしているとされています。
その人物はあの有名な「徳川家康」。江戸時代に書かれた【要筐辨志】にヒントが残されています。
そこには、徳川家康が負け戦で味わった思いを門松にぶつけたとされており、つまり、八つ当たりであり、物に当たった実情が読み取れるのです。
そもそも「門松」という文字をバラしてみると、「門」と「松」に分けることができますが、誕生した当時は竹がなく、門に置いてある松だけだったのです。
「まさに文字通りの門松!」
竹は昔から様々なことに応用できた代物で、縁起物とされていました。そのため、門松の中に竹を入れるようになったのです。
この時にはカットしたものではなく、竹をそのまま真横に切った形(円状)で添えていました。
出典:https://msp.c.yimg.jp
このタイプの門松は「ずん胴」と呼ばれており、現在も銀行や百貨店などで使われています。
流れ
- ずん胴の竹
- 徳川家康により斜めにカットされる
400年以上前の元亀3年12月22日のこと。
武田信玄・織田信長・徳川家康と、戦国史にのこる一戦を繰り広げていました。通称「三方ヶ原の戦い」と呼ばれている戦です。
武田軍により劣勢に追い込まれた徳川軍は浜松城に逃げ込みます。ところがこの山中、恐怖のあまりに失禁したという逸話があります。
ついには武田軍の猛攻により敗北した徳川家康。
心は止まっていても、時間は進み続けます。年が明け正月がやってきました。負けたことに対して悔しさが消えない徳川家康。そんなときに、武田信玄から文が届きました。
「松かれて 竹たぐいなき あしたかな」
- 松=松平(徳川)
- 竹=武田
徳川家康は悔しさが爆発しました。それもそのはず。この文の意味は、「松は枯れて竹は類ないほどに栄える未来が待っている」、これは、徳川が滅んで武田が繁栄するよき年の始まりだ、ということを意味していました。
「武士の情けすらない!!くやしぃいいい!!」
徳川家康は、武田信玄の文を言い換えました。
「松かれで 竹だくびなき あしたかな」
意味は、「徳川は滅びず武田信玄の首がとぶ、なんともめでたい年の始まりだ」
そして、目の前にあった門松の竹(武田信玄)を刀で切り落としました。竹を刀で切る場合、その断面は真横に切らないため円状ではありません。そう、斜めになります。
竹=武田信玄
徳川家や家臣は次々と門松の竹を斜めに切っていきました。その後、関東に門松の斜め切りが広まり、全国にひろまったとされています。
まとめ
門松の竹が斜めになった理由は諸説ありますが、要筐辨志説は面白いですね。徳川家康の性格がよくわかる事件です。