落語の世界は面白く、多くの人を魅了しています。手振りな口術を匠に使いこなして、人を笑いの渦の中へ引きこんでいます。
落語を聞いているとよく耳にするフレーズがありませんか?
そう、「お後がよろしいようで」という言葉。
発言するタイミングといえば、寄席の最後が多いような気がします。どんな意味を持っているのでしょうか?
「おあとがよろしいようで」ってなに?
落語家が最後らへんに発言する「おあとがよろしいようで」のフレーズですが、どのような意味があるのでしょうか?
落語を披露してお客さんをたくさん笑わせた最後に「おあとがよろしいようで」と言うことから考えると、その意味は「オチ」?
落語を話した後の挨拶のようなもの?先入観的な感じではこのように思っていることも多いのではないでしょうか?
人に会ったら「こんにちは」、そして離れるときに「また会いましょう」、「バイバイ」などと言いますが、これと同じような意味合いを持っているのでしょうか?
落語家が使っている「おあとがよろしいようで」の本当の意味
自分の話した落語がウケなかったとき、スベッたときにでも、「おあとがよろしいようで」で締めくくれば、なんだかうまくいったような感覚を受けます。お客さんも「おあとがよろしいようで」のフレーズが来ることで、落語が終わるタイミングを判断することもできます。
実際のところ、どのような意味があるのでしょうか?
実は、「おあとがよろしいようで」の本当の意味は、次の噺家(はなしか)の準備ができているという合図になります。
落語家の人が話していると、その後ろには別の人が次の落語を話すために順番待ち、待機をしているのですが、「おあと」の意味は、次の高座に上がる人を指しています。
要するに、「次に話す落語家さんの準備ができていますよ。この辺でおいとましておきますね」ということ。
そうなると、最後の落語家さんは「おあとがよろしいようで」のフレーズを言わないということになりますね。
まとめ
次の高座に上がる人の準備完了知らせ。
「おあとがよろしいようで」は、自分の落語にオチをつけるためのものではありません。次の人が落語を話す準備を完了していることを知らせる意味になります。