中国からやってきたラーメンは、日本で独自進化を遂げ日本の国民食として全国に広まっています。ラーメンファンはとても多いです。
そんな美味しいラーメンを食べているときに気づくのがその「器の模様」です。ラーメンの器といえばどのようなものを思い浮かべますか?
多くの人が「ぐるぐるの渦巻き模様」を思い浮かべるのではないでしょうか?
なぜ「ラーメンの器=渦巻き模様」になったのでしょうか?
ラーメンの丼ぶりにぐるぐるの渦巻き模様がある理由とは
ラーメンの器にはいろいろな模様がありますが、その中でも決まった模様があり、その模様は多くの人達の中で共通したイメージに固定されています。
それが、ぐるぐるとした四角形をした渦巻き模様。ラーメンにはなぜこの模様をした器が多いのでしょうか?
実は、ラーメンの模様は「九谷焼」を参考にして作ったことが始まりとされています。
九谷焼とは?
九谷焼とは、石川県の九谷村(現在 九谷町)という場所で作られていた磁器になります。
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鮮やかな色彩を保ちながら、細かい描が素晴らしく、美しい模様をしていますね。
九谷焼は江戸時代初期から歴史が始まりましたが、明治時代に世界中で人気になりました。そのきっかけになった出来事が、明治6年に開催された「ウィーン万博」です。ウィーン万博は開国直後の日本が初めて公式に参加しました。
そこで日本の文化を世界に見せるために出品したものが「九谷焼」。日本の上質な物産として世界を驚かせました。そして世界から注文が殺到することになります。
「世界で売れたのだから、日本の東京でも売れるに違いない」
もともと日本では九谷焼を日用品としてではなく、装飾品としていました。無理もありません。九谷焼は美しい模様が特徴なので、お皿に使うよりも観賞用として飾っておきたいと思う人が多かったのです。しかも当時は値段が高く、庶民が手軽に購入できるものではありませんでした。
九谷焼屋さんは考えました。どうしたら九谷焼をヒットさせることができるのか?
その頃、浅草では中華そばが流行していました。九谷焼を東京で売りたかった九谷焼屋さんは方針転換をして、この中華そばを食べながら思います。
「九谷焼に拘らず、この中華そばの器を作ってみよう」
中華そばは、庶民の間で爆発的に大ヒットしました。後にラーメンという名前に変わりますが、それに伴い、九谷焼屋さん(九谷焼屋初代店主 本清太郎氏)の作ったラーメンのどんぶりに注文が殺到しました。
九谷焼屋からどんぶりの器屋へ。
そんなとき、ラーメン店の店主から相談されます。
「その器をもっと、こう、中国っぽいっていうか、中国を思い浮かべるっていうかさ、そんな感じの作れないの?」
どんぶりは無印で模様はほとんどありません。そんな中発見したのは、九谷焼に描かれたいたある模様。
雷紋の模様がラーメンの四角いぐるぐるを作る起源になった
ある日、九谷焼屋さんは雷紋の模様に気が付きました。
如何にも中国らしいその模様。誰がどう見ても中国4000年の歴史をイメージしそうなその形。
「これだ!」
雷紋とは
雷紋とは、中国の伝統的な模様で古くから建築物や磁器に描かれています。
中国で生まれたこの模様は、日本へやってきた後に、九谷焼の職人によって描かれていきます。その結果、九谷焼ではおなじみの柄になりました。
「この柄をラーメンのどんぶりに入れてみよう!」
こうして、ラーメンの丼ぶりに雷紋のマークが入り、屋台でその器を使ったところ、それが大ヒット!中国らしいラーメンを食べることができると口コミが広まり全国に拡大していきました。
まとめ
ラーメンの丼ぶりに描かれた渦巻き模様は、中国の雷紋をヒントに、日本の九谷焼職人が作ったものでした。
普段何気なく食べているそのラーメンですが、お皿にも様々な歴史が隠されているのです。