桜餅は美味しい!
可愛い!
桜餅には、関西風と関東風があります。双方に違いの差はあるのでしょうか?
味が違うのなら両方の桜餅を食べたいですよね?
関西と関東の桜餅の違いとは
まずは、桜餅の歴史を見てみましょう。
関西と関東の桜餅には違いがあります。
徳川吉宗と桜餅の関係・桜餅の起源
桜餅はいつ生まれたのでしょうか?
「江戸時代!」
1684年~1751年の頃。
江戸幕府8代将軍の徳川吉宗行った「公園政策」により桜餅が誕生しました。徳川吉宗は財政の立て直しや人事制度の刷新などを行っていたのですが、この時代の江戸には100万人を超えるほどの人がいました。
身分の違いが大きな時代
土地の70%を武士が所有していました。
「取りすぎぃ~!!」
そして神社仏閣を除いた残りの土地16%ほどに庶民たちが暮らしていたのです。庶民は密集した中で肩を寄せ合うように過ごしていました。イメージ的には武士が大の字で爆睡している横で「おしくらまんじゅう」をしている庶民。
庶民には心を休める癒しの空間・憩いの場がありません。
「庶民も人間!」
ストレスがたまれば心を休めたい。そんな庶民の様子を見ていた徳川吉宗。徳川吉宗は優しかったのです。憩いの場が欲しい庶民のために江戸に住んでいる人々へ「憩いの場」として公園を作ってくれました。
公園の建設地は「生類憐みの令(江戸時代の元禄期に第5代将軍徳川綱吉によって制定された殺生を禁止した多数のお触れ(法令)のこと)」により、10万匹以上の犬を収容していた大規模な犬小屋の場所に決まります。
さっそく犬小屋を取り壊しそこへ桃を植えて庶民へ開放。庶民のための公園が完成しました。
ところが、殺風景なことに気がつきます。
「物足りない…何かが足りない」
徳川吉宗は「飛鳥山」や「御殿山」から桜を運ぶことに決めました。そして川の堤へ植樹するよう命じます。
庶民のためなのか、徳川吉宗にはデザイナー・アーティスト的な面があったのかはわかりません。殺風景にとにかく違和感を感じていました。
徳川吉宗の思惑は的中。
公園はきれいな桜の花で見違えるほど激変しました。これには庶民も大喜び。「この桜の下でご飯を食べるといつもよりおいしいに違いない」。そう考えた人がいたのでしょう。桜の樹の下でお花見を催すようになりました。
そんなある日のこと。
向島長命寺の門番が徳川吉宗により植樹された桜の葉を使い塩漬けを作りました。それに餡を詰めた餅をその葉で挟み食べた。
「おいしい!」
絶妙な塩加減と餅のハーモニー。
一気にこの美味な食べ物が江戸に広がっていきます。
これが「桜餅」の始まりです。
関東の長命寺と関西の道明寺とは
関東の桜餅には他にも呼び名が存在します。
それは別名「長命寺(ちょうめいじ)」。では、関西の桜餅にも他の名前が存在するのでしょうか?
関西の桜餅は「道明寺(どうみょうじ)」。
「花男!」
道明寺といえば「花より男子」に出演した嵐の松本潤をイメージしてしまうかもしれませんが、もち米が原材料になる 「道明寺粉」 で作られています。
関東の桜餅である「長命寺」は関西地方ではほとんど見ることができません。逆に関東では両方の桜餅を見ることができます。主に東京へ西の人も上京しているため、関西風の桜餅も普及しているのでしょう。
関東風の桜餅の特徴
- 葉の枚数は1枚から3枚ほど使用
- あんこは、こしあんを使用
- 皮は二つ折りが主
- 小麦粉を使用
関東風の桜餅・長命寺の作り方レシピ
- 小麦粉(薄力粉)
- 白玉粉
- 砂糖
- 水
- 桜葉
- こし餡
関西地方の桜餅の特徴
- 葉の枚数は1枚から2枚ほど使用
- お餅は玉状もしくは扁平な形
- 弾力と粘りがある
- 餅の表面は粒粒してる
- 餅を葉の筋に沿って包むのが主
- 蒸した道明寺粉で餅を作る
- 餅と一緒に桜の葉も食べる
関西風の桜餅・道明寺の作り方レシピ
- 道明寺粉
- 熱湯
- 砂糖
- 食紅
- 桜葉
- こし餡
まとめ
関東関西の桜餅はそれぞれに歴史がある。
桜の季節にはピンクのきれいな桜餅を食べたくなります。中に入っているアンコが餅のおいしさを引き出します。
桜餅が食べたい…