中国から伝わった卓球は日本でも大人気のスポーツで、温泉に行くと卓球台が備わっている所も少なくありません。
その卓球ですが、昔は台が緑色をしていました。
しかしある日を境に青色の卓球台が増えてきたのです。
いったいその違いは何が原因だったのでしょうか?
タモリが卓球界に変化をもたらした
お昼の顔として12時から1時を盛り上げていたタモリさん。そのタモリさんが卓球界に変化をもたらしました。
一見タモリさんと卓球はつながりが遠いイメージがありますが、「ある一言」でそのつながりの線が結ぶことになります。
織田哲郎さんがテレビショッピングにゲスト出演した際に、タモリさんは「何してたの?」と質問すると、織田さんは「卓球をしていました」と回答。
するとタモリさんは「卓球は、ネクラ(根暗)のスポーツ」と切り返しました。
このタモリさんの発言が影響したのかは定かではありませんが、この発言以降、女子学生の卓球人口は数万人減になってしまったのです。卓球業界に激震が走りました。
「ネクラ…ネクラ…」
タモリの一言で卓球界の覚醒
このままではいけないと考えたのが卓球業界。大幅なイメージチェンジに動き出しました。
卓球台の色を緑から青に変更、ボールの色を白からオレンジやイエローに変更、ユニホームも多彩なものが使用可能に。
ボールの色は大会によって変更され、青の卓球台は1992年にバルセロナ五輪で使用されました。その後、世界中に広まります。
この他にも、球をセルロイド製からプラスティック製に変わったり、球の大きさが38mmから40mmに変わったりしています。
卓球はボールを打ち返す競技になるため、見ている方は打ち返しが長い方が盛り上がります。球の大きさの変更はラリーが増えるようにした結果です。
そして、セルロイド製は高温の部屋に置いておくと自然発火し危険なためです。200度を超えると溶け始め、211度になると発火してしまう特性があります。
それまでは飛行機に乗せることができず船で移動させなければいけませんでしたが、プラスティック製に変えたことで飛行機でも運ぶことが可能になりました。
まとめ
タモリが卓球界の世界を変えた…?かも。
タモリさんの発言が卓球界を変えました。
福原愛さんのオリンピック活躍で根暗のイメージは払拭されました。
卓球は時代が進むと共に進化しています。