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黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」校長先生の言葉に涙

ベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」に描かれた奇跡の小学校から学ぶ、黒柳徹子さんの一生を決定づけた校長先生からの言葉。

日本で「戦後最大のベストセラー」と呼ばれている本書で、「トットちゃん」と言えば、タレントの「黒柳徹子」さんのことを思い浮かべる人も多くいます。

「窓ぎわのトットちゃん」黒柳徹子さんの子ども時代を思い返したエッセイです。

日本でおなじみの黒柳徹子さん自伝的小説「窓際のトットちゃん」が中国で驚異的に売れているそうです。中国では2003年の出版以来、 100万冊にはめったに達しないと言われる児童書で、脅威の350万部を販売。

子供の瑞々しい世界とそれを尊重して見守る校長先生を描いた同書は話題が話題を呼び、これまでに世界35カ国語に翻訳出版されています。

小説を読んだ読者は、「さんさんと照る太陽の光のようで純真な本」、「まるで自分の幼年期に舞い戻ったようだ」日本の読者同様、物語に描かれた純粋で汚れの無い子供の世界や、それを大切に思う優しさに心を動かされているようです。

その感動の物語とは?

黒柳徹子は発達障害だ」と噂されたことがありますが、黒柳さんは「小さいときから考えてきたこと」という自伝所で「私はどうやらLD(学習障害)があったかもしれない」と、自身で告白して書いていたためです。

NHK初の専属女優としても知られる黒柳徹子さんの障害、その謎が、この「窓際のトットちゃん」に書かれています。(以下ネタバレ含みます

窓ぎわのトットちゃんの内容とは?

トットちゃん(黒柳徹子)が、この物語の主人公。

「徹子ちゃん」が、「トットちゃん」と聞こえ、「ちゃん」までが名前だと思っていたそうで、いつも自己紹介の時は「トットちゃんです!」と元気に答えていたそうです。そんなトットちゃんは、最初に通っていた小学校を1年生で退学しています。

トットちゃんは、おしゃべりが大好き!

そして早口で、しゃべりだしたら止まらない子でした。

窓際の席になれば、授業中にもかかわらず「チンドン屋さん」を呼び込んだり、外に向かって誰かに大声で挨拶しているかと思えば、巣を作っている鳥に挨拶をしていたなんてこともありました。

このような行動をしてしまうトットちゃんに対して先生は疲れ果ててしまい、学校はトットちゃんを追い出す選択をしたのです。

この退学でお母さんはとても心配しました。

次の小学校でも、トットちゃんを受け入れてもらえなかったらどうしよう…

小学校を退学になったことはトットちゃんに伝えませんでした。その理由は、もし伝えたらトットちゃんの自尊心がひどく傷つくと思ったから。

母親自身トットちゃんのことは困った子だと思っていたようですが、それも「個性」として、こんな陽気なトットちゃんの良さを認めてくれるような学校をお母さんは探す決断をしました。

後の小学校である「トモエ学園」の面接の時に、トットちゃん自身も「“あんたは前の学校を退学になったのよ”と伝えられていたら、どれほど惨めな気持ちでオドオドしながら向かっていたでしょう」と語っています。

黒柳徹子さんは、舌足らずの発音で「トットちゃん」と自己紹介するような子で、小学校の担任から匙を投げられたトットちゃんは、母親に連れられてトモエ学園にやって来ました。

小学校「トモエ学園」は一風変わった学校でした。

なんと、校舎に本物の電車があったのです。

学校といえば立派な校舎があるイメージですが、この小学校では違いました。でも、トットちゃんは一目でこの学校を気に入ります。

校長先生との面談はお母さん抜きの、「トットちゃん」と「校長先生」の2人きり。

校長の小林先生はトットちゃんにいろんな話をしてくれと頼み、トットちゃんは思いつくままに話をしました。電車や洋服、それにお母さんや前の学校の先生のことや愛犬ロッキーのことなど、あらゆる話をし続けました。

なんと、話が尽きたときにはすでに4時間が経過していたのです。

小林先生はトットちゃんの頭に大きくて暖かい手を置いて、「これで、きみはこの学校の生徒だよ」と言い、迎え入れてくれました。

トットちゃんのトモエ学園生活がこうして始まります。

新しい学校に入学したトットちゃん

学校生活は充実していたのでしょうか?

トモエ学園はとにかく不思議な学校でした。

席順がないため、毎日好きな席に座れます。隣の席の友達も毎日違うので、みんなとまんべんなく仲良くなれました。

そして時間割もなく、毎朝黒板に今日行う教科が書いてあるだけ。

みんな好きなように自分で時間割も時間配分も決めました。

なぜこのような教え方をしているのでしょうか?

それは自分で考える能力を身に着けさせるため。

好きな教科から始めるのか?それとも嫌いな教科を先に片づけるのか?時間配分はどうするのか?多くのことを自分の肌で感じさせるためでした。

わからないことがあったら、ちゃんと先生に質問できるか?という能力をつけることも狙っています。

トットちゃんも初めは戸惑いがありましたが、アルコールランプをつけたり、書道などをしたり思い思い好きに勉強をしている空間を気に入りました。

トモエ学園には身体に障害を持った子も数人通っていましたが、そんな子供ものびのび、みんなと一緒に遊べる学校でした。

プールの時間は水着をもってきている子もみんな裸で遊んでいましたが、これは水着に着替える時間がもったいないからという理由。そしてもうひとつ。それは身体に障害があることで不自由な子も、なんの隔たりもなく一緒になって遊べることを学ばせるため。

小さい頃からこのような環境に触れた子どもは、大人になっても障害のある人を差別しない人になります。見慣れた風景はそれは日常だと思うからです。

裸になることで自分とは身体の大きさも違う・形も違う・傷跡もある姿、でもそれでもみんな生きてる感情を、小さいうちに教えていたのです。

空襲で破壊される大切な学校

第二次世界大戦勃発。

トモエ学園でのびのびと育ったトットちゃんに悲劇が襲いかかりました。

トモエ学園は、東京大空襲で燃えた…

何もかも燃えてなくなっていく東京の街。

しかし、絶望の中で言葉を発した校長先生は「さあ、次はどんな学校を作ろうか」。

障害を持つ子供たちを教えてきた先生。

障害があっても未来はある」、そう伝えたかったのかも知れません。

「窓ぎわのトットちゃん」は、トモエ学園が空襲で焼け落ちてトットちゃんが満員の疎開電車で東北 に向かうところで終わります。

黒柳徹子さんは子どもの頃に戦争を体験することで、改めてトモエ学園で経験したことの尊さを想い、大人になってからも子どもの頃に感じたことを大切にしています。

そこには、黒柳徹子さんの子どもの幸せと平和への願いが込められています。

先生に言われた黒柳徹子が今も大切にしている言葉

トットちゃんが先生にある日言われた、「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」の言葉は、黒柳さんが大人になっても支えています。

小学校を退学させられ “変わった子” として言われてきましたが、良いところはたくさんある。そんなトットちゃんに向けての「君は、ほんとうは、いい子なんだよ」という大切な言葉。

黒柳さんは「先生のあの言葉が無ければ、母親が自分に劣等生の烙印を押していたら、私は何をやっても叱られて、自分に自信が持てずコンプレックスになり、何もできない大人になっていたでしょう」とあとがきを綴っています。

黒柳徹子さんは、その言葉を支えに今でも、変わっている自由なところも早口なところもおしゃべりなところも、最大限に自分の魅力として表現し、誰からも愛される人物になりました。

まとめ

それがあなたの個性。

小説のタイトルに付けられいる「窓際」は、当時リストラ候補だった社員を窓際に置く風潮からと、自分も騒がしいからと窓際に置かれてチンドン屋さんを呼んだり鳥に挨拶したりしていたからの二つの意味からつけたみたいです。

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