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日本ではブロックごとに分かれた地方がありますが、その中にある「中国地方」はなぜ、「中国」と呼ぶのでしょうか?
中国と言えば、2つお隣の国を思い浮かべます。
中国と日本の中国地方で、昔から密接な関係があったからなのでしょうか?
国の「中国」と、中国地方の「中国」の違いとは?
中華人民共和国の「中国」の意味
国の中国は、正式名称が「中華人民共和国」です。中華人民共和国の最初にある「中」と最後にある「国」を取り、略語として「中国」にしている!
っと!思っていませんか?
実は違います。
「中国」の言葉は、遥か昔、「中華人民共和国」ができる遥か昔のお話です。時代は紀元前までさかのぼります。
「中国は偉大な国」、このように昔の中国人は考えていました。中華思想と呼ばれるものです。中華思想の「華」は、「文明」を指しています。
中華というのは「文明の中心」であり、自分たちは文明の中心にいるという考え方がありました。
つまり、「天下の中心」になるので「中心の国」から「中国」と呼ぶようになりました。国の中国という名前には、中華思想が強く表れていることがわかります。
中国地方の「中国」の意味
中国地方の「中国」は、いつから呼ばれるようになったのでしょうか?
日本の中国地方は、西暦800年ほどの平安時代から呼ばれるようになりました。日本は中国の影響を大きく受けており、漢字に始まり、傘や薬など新鮮な外国文化が日本に続々と入ってきました。
中国地方に住む人が中国という国に憧れたことから、「この場所を中国にしよう!」と言い出して、それが広まった。つと、思いやすいのですが、まったく国の中国は関係ありません。
現在の政治は東京を中心におこなわれていますが、当時の日本の中心は京都でした。そして、もう1つ重要拠点にしていた場所があり、そこは九州の福岡にある太宰府。「太宰府天満宮」は有名ですね。
太宰府では、大陸や朝鮮半島と外交をおこなう場所として位置づけられており、九州全体を収める場所でもありました。いわゆる、西の中心地点が太宰府です。
日本の中心である「京都」と、西の中心である「太宰府」、この中間にある地点が、現在の「中国地方」になります。
「中間にある国」だから「中国」になりました。
ちなみに、当時の地図を見ると、現在の中国地方とは範囲が違います。その理由は、明治になって日本を8つの地方に分けたから。この周辺では昔から「中国(中間にある国)」と呼ばれていたので、中国地方と呼ぶようになりました。
- 中国(中華人民共和国)
…中心の国 - 中国地方(日本)
…中間の国
まとめ
中国地方と国の中国は意味が違う。
中華人民共和国の「中国」の名前には、中華思想からきています。一方の日本にある中国地方は、京都と太宰府の「中間にある国」という意味が込められています。